好き嫌い、信じる信じないは誰にでもある
人にはそれぞれ好みがあります。
例えば好き嫌いもそうだし、誰を信じるか信じないかもそうです。
好みが違うように個性だって違います。
でも、みんな違ってみんないいんです。
これまで学校で植え付けられた「みんな仲良し」「みんな同じ価値観」というものは、既に捨てる段階に来ています。
でも、今「みんな自分と同じであるべき」という歪みがどんどん表にあぶり出されてきていると感じてます。
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嫌いだからといって攻撃するのは違うゾ!!!
今はまさに情報戦争であり、特に光関係の情報はモノホンのファクトチェックはできない状況です。
特に日本では光関係の情報が未だに少ないので、「何が真実だ!!」「ソースは??」みたいに疑心暗鬼になっている人も出てきています。
なので誰を信じるか、それによって自神の捉え方もそれぞれ異なるわけです。
ただですね…ここで一番気をつけてほしいことがあるのです。
自分にとってあの人の情報は信じられない…それはそれでOKなのです。
しかし!!! 自分が信じない情報を発信する人を一括に「あいつは悪だ!!」「あの人は○○と××とつながっているから偽情報だ!!信じないでください!!!」と言いまくる人も出てきているのです。
別に自分が信じないのであれば、それは黙って抜ければいいいわけだし、「私はあの人はこういう理由で信じられないなー」という意見ぐらいでいいわけなんです。
でもそれを煽るように周りに強制し、「え、あの人を信じてはいけないの!!??」「あの人を信じたら白い目で見られる…」と変な空気を作る事例も出てきているわけです。
つまり「自分だけが真実!!!」「自分以外は偽だから攻撃していい!!!」「偽情報流すと処罰される」と脅したりするのは逆にディセンションへの道へ突き進んでいることになってしまいます。
こういう煽りには決して乗らず、常に《俯瞰》することを意識していきましょう!!!
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《性善説》で信じていい。違和感を感じたらそっと離れればよし!!!
《性悪説》《性善説》がありますが、性悪説はとても窮屈です。
性悪説は常に誰かを疑うので、これは究極の形「愛なんか信じられない」に行き着くわけです。
そうなると自分自神と《分離》してしまい、さらに周りも《分断》してしまいます。
《性善説》は基本的に人を信じるので、愛もすんなり受け入れられます。
なので《団結》へ向かい、自分自神も《統合》へ向かうのです。
でも性善説で騙されるんだろ?? どうすりゃいいんだよ。
騙されることは一見悪いことに見えると思います。
でも、最初は僕だって偽情報発信者にたくさん騙されていました。
赤ちゃんだってハイハイして転びながら歩けるようになるでしょ???
自転車だって補助輪つけて徐々に慣れて、補助輪なしで乗れるようになるでしょ???
これと同じように、自らの失敗を糧にしなきゃ《真実》にはたどり着けないんですよ。
性善説で信じていいんだし、それで違和感感じたらそっと離れればいいだけの話です。
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押し付けや脅しとかの自由意思の侵害はダメ!!!
「あの人は闇だから信じるな!!!」みたいに周りに強制し押し付けることは、実は《自由意思》を侵害することになります。
もし子供の自由意思を侵害し、常に好みも押し付けたとします。
すると本来転んで学んでいく機会を奪うことになり、結果的にその子供は経験値が足りない状態で育ってしまいます。
良かれと思って自分の正義を押し付けることが、逆に災厄を招くことだってあるんです。
まとめると自分の好みを絶対的正義と思って嫌いな存在を攻撃したり、他人に押し付けたりすることが新たな《闇》を生むということなんです。
嫌いとか信じられないならそっと《棲み分け》すれば、そこに分断も争いも発生しません。
アセンションに向かうなら、今一度しっかり《棲み分け》を意識していきましょう。
特に他人から聞いた「あの人は悪い人だよ!!」だけで流されることのないよう、しっかり自分自神を鍛えておきましょう!!!
もちろんこれらの情報が100%正しいとは限らないので、本当かどうかは各々で調べてみてください。
あとXでも配信しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
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