地の時代は「頑張る」ことが当たり前だった
地の時代、すべてにおいて「頑張れ」が当たり前でした。
人生というのは歯を食いしばって頑張る…というように、メディアも含めて力む生き方に誘導していました。
その代名詞として「働かざる者食うべからず」という言葉があります。
「価値を生み出せない者に生きる資格なんてない」という価値観が拡がってしまい、それによって鬱に追い込まれたり障害者への不当な扱いが目立ちました。
そして頑張りすぎて限界を迎えて倒れたら、その時点でバッサリ切り捨てられて二度と這い上がれないような社会の仕組むになっていました。
…そう、実はこの時点で一番得していたのは頑張る人ではなく「手の抜き方がうまい、要領の良い人」でした。
資本主義の一番頂点に立っていたのは闇の血族であり、「頑張れ」というのは奴隷への鞭だったわけです。
実にメディアなどが誘導する「頑張る生き方」をするほど自分を刷り減らし、気がつけば自分の大事なものをどんどん失っていく感じでした。
そして、すでに「頑張る」生き方の時代は終わっています。
(スポンサーリンク)
頑張ろうとするほど「頑張らないといけない現実」を創ってしまう!!
「頑張る生き方」には、実は素晴らしく見えて最も大きな罠があります。
それは「頑張ろうとするほど頑張らないといけない現実」を創ってしまうってことです!!
これは耳にタコができるぐらい言ってきたことですが、創造主は自分自神です。
自分が現実を創っているというのは「神=自分」であり、自分の意識が現実世界に反映しているってことです。
「頑張らないといけない世界」というのは、どんなに頑張っても報われません。
10頑張ったら次は「100頑張れ」と押し付けられ、100頑張ったら次は1000頑張らないといけない現実になってしまいます。
特に自分を大切にしてくれない人と一緒にいるとそうなってしまいます。
人の頑張りを搾取する存在はあくまで「人の感性を理解したフリをするのがうまいレプ気質」であり、まんまと罠に嵌ってしまうとアメとムチで延々と搾り取られます。
最初は10の要求で良かったのに、ある時を境に100の要求、やがては1000の要求を満たしてくれないと激しく怒るようになります。
搾取する側は「いかにアメとムチで頑張らさせて考えさせる隙を与えないか」を考えるので、まさしくそこにいると人間扱いされません。
自分の人生が奪われると感じたら、自分を粗末に扱ってくる人から「逃げる」のも選択肢です。
(スポンサーリンク)
風の時代は「肩の力を抜く」ほうがうまく行く!!
今はすでに風の時代、一番うまくいくのは「頑張らない生き方」です。
いわば「肩の力を抜く」ということで、これを常にできるようになるのが理想です。
肩の力を抜くというのは、まさしく「不要な価値観を捨てる」ということです。
頑張るという価値観を長く植え付けられた以上、無意識まで浸透している部分もあります。
自分では気づいてなくても、やはり頑張りすぎて気が付かないうちに疲労困憊になっている…という人が多いです。
頑張らない生き方というのは、心身とも疲れているときは想像もできないと思います。
ただ心身ともボロボロの状態で他人からエネルギーを奪う「エナジーバンパイア」も増えているのも事実、エナジーバンパイアにならないようにするためには「自分を一番労る」ことが大事です。
他人を助けるにもまずは自分が一番整っている状態が必要だし、それは決して自分勝手ではありません。
頑張らない生き方のほうが現実化を阻害するものが外れるので、結果的に思い通りになりやすい現実を創ります。
もっとわかりやすく言うなら「川で溺れたら無理に泳いで上流に行こうとするより、敢えて身を委ねて下流域に流されたほうが助かる確率が高い」ようなイメージです。
メディアや世間は今でも「頑張れ頑張れ」の大合唱ですが、すでに無視して大丈夫です。自分自神が生きたい方向へ全力で向かいましょう!!
もちろんこれらの情報が100%正しいとは限らないので、本当かどうかは各々で調べてみてください。
あとXでも配信しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
(スポンサーリンク)
こちらの記事も合わせてどうぞ😊