視えてる世界のほとんどは乱数!!??
目の前に広がる世界、世界のデータはどこにあるのか。
それは起きているときは意識できない深層意識になり、いわばソフトの不可視領域(プレイヤーがいじれない領域)に格納されています。

そしてその中には世界を盛り上げる「乱数」が存在し、たとえば人混みやすれ違う数多の車などがそれに該当します。
ゲームでも読み込むのは必要な部分だけであり、これは現実世界でも同じです。
どこまでも広大な世界の中のちっぽけな自分というこそ錯覚であり、本当は真っ白な空間に超リアルな物質世界を「投影」しているに過ぎません。
目の前の光景がリアルなゲーム画面であり、認識している部分だけにすれ違う人々や車などが乱数生成されています。

それらもすべて自分が創造している故、「皆が分け御霊」ということでもあるんです。

しかしここで疑問が出てきます。
「友人や家族も乱数なのか??」
実は観測者効果により、ある程度の「乱数の固定化」を無意識にしています。
(スポンサーリンク)
乱数の固定化が「縁」
たとえば自分の家で新しく車を買おうとしたとき、最初は車種もナンバーも全部量子の重ね合わせで確定していません。

カタログを見てたくさん考えて、「この車にします」としたとき、初めて自分の新しい車の車種が確定します。
そして新しいナンバーを決めて納車されたとき、「自分の車」というファイルが保存されて車種とナンバーが確定します。
これが無数パターンの乱数から確定させた結果であり、あとは車と縁がある限り車種もナンバーも変わることはありません。

また友人や親戚の車も、車種やナンバーを認識した時点で乱数は固定化され、これもまた縁がある限り車種もナンバーも変わりません。
これを見たらわかると思いますが、無数の乱数の中から観測者効果で固定化する、これをこの世界では「縁」と呼ぶと考えました。

ただ家族や友人などでも完全な乱数として固定化されるのではなく、普段意識しないところでは乱数として動いています。
たとえば友人であっても、自分と会わないときに何をしているのか、それは自分が認識していない時点で量子の重ね合わせ状態になっています。
しかし親しい人は重要ファイルとして保存されているため、会ったときに見た目が全くの別人になっていたということはなく、ちゃんと自然な形で会えるということです。

ただ、周波数が会わなくなって縁が薄れていったり切れていくと、保存していたファイルは重要じゃない領域に移動していき、固定化された状態から再び流動的な乱数状態に戻っていきます。

久々に会った友人に対していろいろ違和感を感じるのも、長い間乱数状態だった故に発生するんだと思います。
またこれは世界規模で起こることもあり、世界全体も乱数によって認識しないところは変わってたりします。

その結果世界線が変わっており、マンデラエフェクトとなって観測されると思います。
(スポンサーリンク)
人生は「神の自分の再発見」
この世界は面白いぐらいにトリックだらけで、自分が創造した分け御霊も他人として映り、その中で分離をたくさん味わってきたわけです。

神もサタンも自分の中にいて、サタンが強ければDS支配が強力な世界として映り、神とサタンと統合していくほどDSが弱まっていって最後は本来の愛と自由を取り戻す…ということをしていると思います。
ゲームをプレイしていない状態では自由も愛も当たり前であり、当たり前だから尊さがわかりません。

いわば愛や自由が空気のように当たり前すぎて、その有り難さが分からないわけです。
だから自らサタンを創って分離の世界を創り、普段では味わえない無力感や闇感情を経験し、成長物語として「神の自分の再発見」をしていくのが大きなテーマだと感じています。

遠回りに外を冒険して幸せの青い鳥を探すけど、最後は「幸せの青い鳥は最初から内側にいた」と気づくゲームということです。

故に、今までの嫌な経験ですら血肉となり、一切の無駄がないというわけです。

もちろんこれらの情報が100%正しいとは限らないので、本当かどうかは各々で調べてみてください。
あとXでも配信しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
(スポンサーリンク)
こちらの記事も合わせてどうぞ😊

