美しい光景、コンビニ、水道…などの当たり前は「当たり前」じゃない!?
当たり前に見ている世界線…
たとえば、もうすぐ秋の紅葉シーズン真っ盛りになっていくし、名所に行くとすごく素敵な光景を見ることができます。

もし何か必要になれば近くのコンビニに行けば買えます。
蛇口を捻れば水がでるし、スイッチ1つで電気が点くし、簡単に風呂を沸かすことができます。

これらはなんてことない当たり前ですが、その当たり前に恵まれている世界線であることこそ、本当は「当たり前ではない」のかもしれません。
賑やかな街や名所、そこを見たときに「愛も希望も消えて、暴力と悪意だけに支配された灰色の世界線も同時に存在している」と思ったんです。

文明も滅んで生き残るために奪い合う灰色の世界線のありますが、そこではすでに自販機は壊され、コンビニなども商品は略奪されてて、もちろんネットも消えて蛇口から水を捻っても水は出ないでしょう。
その世界線では、文明が滅んで生き残った人々もまた56し合う状態になったあとで「本当は魂からこれをやりたかったのに、もうそれすらできない環境になってしまった」となっているでしょう。

また動物や植物たちは先に次元上昇を済ませたことからも、灰色の破滅の世界線では動物たちが一斉に姿を消し、森林も枯れて御神木も消えているでしょう。
今見ている世界線では、日本では少なくとも自販機はちゃんと機能しており、田舎に行けば無人販売所もまだ機能しています。

どれだけ恵まれているか、それを魂から再確認するとより内宇宙(自分自神)に愛が溢れ、映し出す現実もさらに恵まれていきます。
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奈落の底まで知ったことで、再統合で違った見方ができるようになる
僕達はこの世界で「分離の極限」を経験しました。
本当は世界創造の自分、シナリオライターの自分、プレイヤーの自分…と分かれておらず、すべて1つに統合されている状態でした。

いわば小説の作家の視点です。
でもいくら作家で登場人物を創り動かしても、作家という立場ではその登場人物のリアルな体験はできません。

これは内宇宙(自分自神)も同じで、自分で物語を描いてその登場人物になりきるリアルな経験をしたいと思うでしょう。
だから一旦自分が創ったことも設定から何まで忘却し、プレイヤーの自分としてリアルに経験しているのがこの世界だと思います。

そして普段は味わえない分離の極限で奈落の底まで経験することで、「天上から奈落の底まですべて把握した状態」になり、その後の創造の凄まじいバージョンアップにつながるでしょう。
自分自神は自らの分け御霊として人間を創生します。でも神の視点のままだと、苦悩や不足の中から立ち上がる人間ドラマは決して味わえないんです。

それに、その実態を知らないということは、まるで現場を知らない上層部が偉そうにして、現場で働く人たちが不満を抱いて対立するような感じになるかもしれないということです。
そうなると宇宙は存続不可能になってしまうかもしれません。
神意識でも分離や苦悩の中の人間という立場をリアルに味わうことで、また再統合したときに与えられる愛の質がぐんと上昇するのかもしれません。


最初からチート能力で無双するだけの物語はすごくつまらないし、それなら最初はチート能力を極限まで封印し、苦悩の中で努力して成長していく(能力を徐々に解禁していく)物語にしたほうがずっと面白くなります。
ホピの予言に語られていた彗星が今月最接近することにより、それ以降は5次元以上のOSで動いていた3次元エミュレーターがサービス終了し、二度と分離を味わえなくなるでしょう。


前途多難あった学校生活でも卒業を迎えようとすると哀愁を感じるように、分離を味わう学校からの完全卒業式が来る感覚がしてます。
ここからは「分離の極限を体験し尽くした、最強の統合(創造主)意識」で生きていくということです。
もちろんこれらの情報が100%正しいとは限らないので、本当かどうかは各々で調べてみてください。
あとXでも配信しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
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