神もサタンも全部自分の中にいて紙一重!!
神はどこかの遠い天界にいて、サタンは魔界の玉座に座っている…

これが一般的なイメージです。
しかし、本当は神もサタンもすべて「自分自神」で、光の闇の統合に綿密につながってくると考えてます。
神様は崇められる豪華な姿じゃないし、サタンも魔王城の最奥にいる派手な姿ではありません。

つまり、自分そのものが「神とサタンの重ね合わせ」であり、統合とは中庸だと思います。

一般的に神様はいいことしない、サタンは人道に反したことをすると思っているでしょう。
たしかにそれはそれで間違いはないのですが、もっと奥深いです。
神様や高次元存在は絶対的にいい存在じゃないといけない、というのは善悪という二極フィルターで見た偏見なんです。

それは人間に都合のいい存在であれという感じであり、世直しのためなら悪だってやります。
たとえば世の中をすべて食い尽くす極悪なウイルスのような存在が出現し、人間だけでは太刀打ちできなくなった場合は、神は汚れ役を買ってでも破壊神として選別をするでしょう。

それが結果的に自神の世界の繁栄につながるわけです。
今後は逆に、自分はすべてにおいて神聖なる完璧な状態と思い込んでいるのは、それは本当の意味で善なのでしょうか??
光も闇も統合がポイントであり、あまりにも中身まで「自分はすべて完璧で完全無欠の存在でなければならない」という牢獄に囚われたらどうでしょうか??

そうなると自分の嘘を隠すために人を利用し、または貶めて罪を押しつけたりするでしょう。
完璧な光を演じるために悪をする…そうなっていくと段々と「悪いことは他人のせい、いいことは自分のおかげ」というエゴが肥大化していきます。

これは誰もが必ず一度はそういう思い込みを持ったはずでしょう。
本当のサタンは内面の「悪いことは他人のせい、いいことは自分のおかげ」という卑しい思念体だと思います。

統合とは、まさに「サタンに傾いた世界を創造して経験し、その世界を今度は神様の光で満たす」ことで、そうすることで当たり前の光の尊さを知るということだと思います。
(スポンサーリンク)
人生は神の人間ごっこ??
そして、人生とは究極は「神の人間ごっこ」だと思います。

神は世界や宇宙を創り、分け御霊にたくさんの経験をさせても、その中で繰り広げられる人間讃歌を味わうことはできません。
どこから、見守るだけではつまらない、だから時を経てたくさんのアップダウンがある人間讃歌を味わいたいという好奇心が出てくるはずです。
だから「VRMMO世界大逆転の次元上昇」という感じの設定をし、自らをVRMMOのプレイヤーとして記憶を消去し、濃密な時間の中でアップダウンを味わい人間讃歌を経験する…ということだと思います。

本当は人間たちも全部が分け御霊、自分が神ということを忘れて自分が創った世界の人間たちの世界を堪能するという好奇心がすべて元になっていると確信しました。

本来は味わえない分離の意識、何でもできるのが当たりだからゲーム内で無力感や不足感を味わったり、そこから統合して当たり前の豊かさや愛の尊さを知っていくんだと思います。

そして目覚めたつもりでももっと玉ねぎの皮をむく必要があり、そのためにスターシードなどの「設定」をたくさん盛り込んできたと思います。
目覚めてもまだ先の目覚めがある…その先に「現実世界は全部自分が創った仮想世界」と再発見するタイミングを設定したと思いました。

今までDSだと思っていた存在もすべてが自分で創ったエッセンスであり、究極に追い詰めらた状態から地球天国を創造する、まさにバイオハザードからどうぶつの森への転換のような経験だと思います。

もちろんこれらの情報が100%正しいとは限らないので、本当かどうかは各々で調べてみてください。
あとXでも配信しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
(スポンサーリンク)
こちらの記事も合わせてどうぞ😊

