風の時代は手を差し伸べ合うのが大事になる
風の時代は、「手を差し伸べ合う」ことが大事になります。
そもそも、今まで見てきた「今だけ金だけ自分だけ」の人ばかりで、分断されすぎた当たり前の光景ほど異常だったわけです。
愛のある社会の中では、同じ周波数にいる人たちが互いに愛をもたらし、愛の総量を増やしていく感じです。
この世界の地の時代の社会は、愛の総量は決まってて、それを奪い合って結果的に総量を減らしていってしまうものでした。
だからこのまま地の時代の社会が続けば世界そのものが存続できなくなり、そこに「もう一度自神という愛を見直せ」ということでコロナ茶番があったわけです。
しかし、その中でも「本当に手を差し伸べられるのか???」と思ってしまうほどの悪魔憑きな人が多くあぶり出されました。
特に次元上昇エネルギーの中で棲み分けも大きくなり、話がすんなり通じる人と、まったく通じない人でも二極化しました。
そんな中で「全員に手を差し伸べないといけないのか…無茶だよそんな…」と思う人もいるかもしれません。
もしくは「誰一人置いてきぼりにできない!! 見捨てることこそ愛のない行為だ!!」と思う人もいるでしょう。
しかし、実は「助けてはいけない人」は実際に存在しており、それを把握して助ける人を選ぶことが結果的にいい方向に動くわけです。
「助けてはいけない人」の特徴を把握せよ!!
助けてはいけない人、それは大雑把にまとめるとこんな感じです。
- 自分を助けようと努力すらせず、いくら助言を与えても破滅行動ばかり取る人
- 自分可哀想と取り巻き作ってヨシヨシされ続け、ボスとしてつけ上がってる人
- どんな法の穴をくぐり抜けても誹謗中傷を辞めるつもりのない人
- 人の幸せを憎み、あわよくばその幸せすら平気で奪おうとする人
↑の特徴に当てはまる人たちに共通する特徴は「すべての光を闇の底へ飲み込んでしまうブラックホール」ということです。
手を差し伸べるというのは、言葉の表面だけで捉えれば「誰にでも手を差し伸べることが大事なんだ」と思うでしょう。
本質として、手を差し伸べるというのは、手を差し伸べられた側も「自分を自分で助ける意思がある」ことにあります。
互いに対等であり、決して支配関係になってはいけないわけです。
ただ、実際には助けに来てくれる人を釣ってターゲットにし、あわよくば美味しいところだけ奪って恩を仇でしか返せない存在もいるわけです。
たとえば、自分可哀想とふりまく自己愛性者に助けの手を差し伸べれば、逆にこちらが悪者にされ、その取り巻きに集団リンチされて吊し上げられ、持っているエネルギーのほとんどを奪っていくこともあります。
また、自分を助けようと努力すらしない人は、こちらがいくら助けようとお金や物資を与えたところで全部ギャンブルに消えて借金に変えてしまい、それどころか情で束縛して「借金の連帯保証人になれ」など強要してくる…ということもありえます。
優しさとは決して相手の情に流されることではなく、時には情を断ち切ってガツンと言う勇気を持つこともでもあります。
もし情に流されて相手の肩代わりをしすぎてしまうと、最後は相手にとっての都合のいいATMと化してしまい、多額の借金や罪を押し付けられて相手に逃げられ、自分が再起不能になってしまう…という最悪の展開になりかねません。
まさに、手を差し伸べるにも「ミイラ取りがミイラになる」状況は絶対に避けないといけません。
闇というのは、まだ闇を知らない純粋な光を餌食にしてくるので、今後も愛と調和で満ちた世界を侵略されないようにするためにも「闇を知っておく」必要があるわけです。
そして何より、自己犠牲をしては一番いけません。
日本では自己犠牲や自分可哀想アピールが褒められ持ち上げられやすいですが、それこそ集団狂気を生み出す原因にもなってたわけです。
人を助けるなら、まずは自分を助け、自分を一番大事にして満たすことから始まります。
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助ける人を選ぶことが、結果的に大勢の人を助けることになる
助けてはいけない人は助けない、それは一見残酷に見えるかもしれませんが、結果的に一番必要なときに使うエネルギーを温存することができます。
助けるべき人というのは、直感的にもピンと来るんですよね。
そこには理由もないとか、感じるすべての雰囲気やオーラからそう感じるわけです。
そこに手を差し伸べていくわけです。
もし助けてはいけない人に手を差し伸べ続けてボロボロになってると、いざ一番助けたい人が助けを求めたときに自分が動けない…という本末転倒になってしまいます。
そうなると今まで無駄になった時間とエネルギーだけでなく、一番助けたかった人を助けられなかったという強い後悔を背負うことになります。
そうなるぐらいなら予め助けてはいけない人についてちゃんと把握し、まずは自分を一番大切にすることで、結果的に大勢の人を助けることになるわけです。
助けてはいけない人は、その相手が本来なら100人1000人助けることができたはずのエネルギーなども1人で奪って浪費していくので、一番避けなければならないってことなんです。
そもそも、助けようのない人は、もはやこちらがいくら労力注いで言葉で伝えても1ミリも分かろうとしません。
その場合は自分がどん底に落ちるまで行かせてあげ、その経験を糧に自ら学ぶかどうかを見守るのが一番いいわけです。
まさに「かわいい子には旅をさせよ」というように、ただ甘やかすのではなく、自ら苦楽を経験させて学びを得させるのが一番いいわけです。
すべての魂は創造主の分け御霊であり、経験を積んでバージョンアップしていきます。
現時点であまりにも救いようのない人だって同じであり、彼ら自身がどん底から這い上がって愛に気づくパターンもあります。
だから、手を差し伸べるかどうか、それも「自由意志」ということです。
もちろんこれらの情報が100%正しいとは限らないので、本当かどうかは各々で調べてみてください。
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最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
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